湯里住吉神社


祭神 中筒男命
狛犬 1対(拝殿前)
場所 大阪市東住吉区湯里4−17−14
由緒
信長の焼討(1577〜80)や、大坂冬の陣(1614)と夏の陣(1615)の兵火に遭い、社殿や社記を全て焼失して、神社由緒がわからなくなったようです。
当神社の社伝によれば、当社は式内社で、大社の社格を持つ中臣須牟地(スムチ)神社との神縁が深く、中臣須牟地社(047 住道(須牟地)廃寺跡 参照)が当社の南300mの天神山(四極山:シハツヤマ)にあった奈良時代末期(光仁天皇の在位770〜781)に、河内国丹比(タジヒ)郡に編入されて、当地富田荘住民の氏神がなくなったため、中臣須牟地社の祭神の一柱である、中筒男命(住吉大社第二宮のご祭神)を勧請したことに始まります。
従って、当社は初めは須牟地神社と呼ばれ、その後、住吉二之宮、湯屋島(湯谷島)住吉との社名を経て、現在は湯里住吉神社と呼ばれています。
天正18年(1590)の太閤検地の際には、境内地は81坪の小さな神社でしたが、大正11年(1922)11月発行の「西成郡誌」には189坪となっています。 更に敗戦直後、各地の社有地が農地改革によって収奪された昭和21年(1946)に、信者の寄付によって境内地が一挙に381坪となった社歴を持つ神社です。

引用:東住吉区HP



拝殿と狛犬


稲荷社と末社

楠社

inserted by FC2 system